ひよしじんじゃ
秋田県能代市御指南町3-24
天文の初、能代が未だ農志路と称し僅かな人々が漁を営んでいた頃、専助という者がいた。或る時神光が夜の海を照らし、爲に網を打つ者もなかった。然し孝行者専助は、病母の為に魚を獲ろうと敢て網を入れたところ、..
天文の初、能代が未だ農志路と称し僅かな人々が漁を営んでいた頃、専助という者がいた。或る時神光が夜の海を照らし、爲に網を打つ者もなかった。然し孝行者専助は、病母の為に魚を獲ろうと敢て網を入れたところ、霊光が網と共に浮かび上ってきたので、驚いて逃げ帰った。 その夜農志路支配清水治郎兵衛が霊夢を蒙り、専助を伴って海辺に至り、神体を奉戴し一祠を創て鎮護の神として奉斎した。
天文2年4月中の申の日の事と言い、是が当社の起源と伝えられている。
その後の社地はたびたび移ったが、創立以来秋田氏の崇敬を受け、ついで佐竹家累代の崇敬篤く、明治に至っては県社に列せられた。
昭和24年の能代の大火には社殿災上の災禍に遭い、又同58年の日本海中部地震では一部被害を蒙ったが、その都度氏子崇敬者の変わらぬ崇敬奉賛のもとに復興し、天文の昔以来幾星霜神徳昭々として能代鎮守と仰がれて今日に至っている。
大山咋神(おおやまくいのかみ) 大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) 大物主神(おおものぬしのかみ)
県社
天文2年4月中の申の日
山王さん
7月26日・27日・・・神幸祭
旧暦4月の2番目の申の日の前日 日吉神社中の申祭 嫁見まつり
軽巡洋艦「能代」の名を受け継いだ海上自衛隊の護衛艦(退役)「のしろ」の艦内神社に分祀したという。
有ります。