そうちゅうじ
神奈川県座間市座間1-3300
来光山峯月院と号す。浄土宗、鎌倉郡岩瀬大長寺末。慶長8年領主内藤修理亮清成、実父竹田宗仲菩提の為に創建し(按ずるに、宗仲は慶長11年に卒す。然ば送修の為創せしが、又は8年と云は誤か)、岩瀬大長寺4世..
来光山峯月院と号す。浄土宗、鎌倉郡岩瀬大長寺末。慶長8年領主内藤修理亮清成、実父竹田宗仲菩提の為に創建し(按ずるに、宗仲は慶長11年に卒す。然ば送修の為創せしが、又は8年と云は誤か)、岩瀬大長寺4世源栄(星蓮社暁誉存阿疑信と号す)を請て開山とし、両寺兼任せしむ。東照宮兼て源栄を知しめざれしにより、中原御殿駐蹕の時は時々当寺に入御ありて、法義等の御談話あり。又源栄数奇の聞えありしにより茶器七種を賜はれり。今に寺宝とす、七種は松笠釜、水指、茶杓袋入、茶入、茶筅、柄杓、各一個。茶碗三口等なり。其頃清成境内に御殿を設け、御休息の所とす。山号及制札も此時賜はれり。寺中不入の制札なり、慶長11年3月奉行となり。今に門外に建置けり。同19年源栄参州大樹寺に転住す。元和3年神柩日光山遷御の時3月21日、中原御宿殿を発せられ、境内御殿に御休輿あり。明年源栄病に依て当寺に退隠す。寛永10年11月10日寂す、年81。寺領7石4斗余、慶安2年8月24日御朱印を賜ふ。本尊三尊阿弥陀(中尊は恵心作)を安ず。 東照宮、御身体長3寸、開山源栄彫刻し奉ると云。 淡島社 鐘楼、延宝6年鋳造の鐘を懸く。 内藤氏墓五基、竹田宗仲夫婦、修理亮清成、若狭守清次、修理亮清政等の碑なり。碑面刻する所、宗仲は廣昌院林誉宗仲、慶長11年2月朔日卒。宗仲室光誉栄法、慶長11年9月2日卒。清成、孤光院照誉峯月、慶長13年10月20日卒。清次、寶林院展暁覚清、元和3年7月朔日卒。清政、岑巌院泰雄休安、元和9年6月26日卒す。(新編相模国風土記稿より)
相模七福神(寿老人)。当地の領主内藤清成が、1603年実父竹田宗仲の菩提のため、鎌倉岩瀬大長寺第四世源栄上人を開山として創建。当地には平安時代に宗仲寺の前身の良真院、鎌倉時代は渋谷道場】修行場)があり、その跡に当寺が建立されたとされる。
来光山
峯月院
浄土宗
慶長8年(1603年)
阿弥陀如来
世源栄上人
相模七福神(寿老人)
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