むねとうじんじゃ
茨城県下妻市本宗道89
当社は、平安時代後期に陸奥国でおこった前九年の役(1051~61年)で源頼義の軍勢に敗れた阿部宗任公を祀った神社です。 縁起記に天仁2年、阿部氏の臣松本七郎秀則・息八郎秀元が亡君宗任公の神託によ..
当社は、平安時代後期に陸奥国でおこった前九年の役(1051~61年)で源頼義の軍勢に敗れた阿部宗任公を祀った神社です。 縁起記に天仁2年、阿部氏の臣松本七郎秀則・息八郎秀元が亡君宗任公の神託により旧臣二十余名と共に公着用の青龍の甲胄・遺物を奉じて奥羽の鳥海山の麓から当地(旧黒の里)来往して鎮齊した。鎮座するにあたって宗任公の霊は、「天の道、人の道を行くを宗とする意味で宗道と地名を改めれば、人はすこやかに、地は栄えるようになるであろう」と告げる。以来この地は宗道となった。 鎌倉時代には、豊田三十三郷幸嶋十二郷の総社として多くの人々から信仰され、地方の豪族小田氏治・豊田将基なども信仰した。江戸時代、三代将軍家光公より代々、朱印地五石を与えられる。本殿拝殿寛永年間に家光公より寄進。明治6年4月1日村社に列格。同12年村内大火のため類焼。同17年再建造営。同42年5月20日(第238号)供進指定
阿部宗任命
天仁2(1109)年
関東鉄道常総線宗道駅より徒歩10分
有り