へんしょういん
新潟県佐渡市長谷14
当山先師 義僧憲盛法印は、名を智専といい、明和三年佐渡では農作物の大不作に見舞われ、重税に苦しむ農民は年貢米の軽減を時の代官所へ出願しようとして智専に依頼し智専は農民の窮状みるに忍びず、五十三ヶ村の..
当山先師 義僧憲盛法印は、名を智専といい、明和三年佐渡では農作物の大不作に見舞われ、重税に苦しむ農民は年貢米の軽減を時の代官所へ出願しようとして智専に依頼し智専は農民の窮状みるに忍びず、五十三ヶ村の請願を一身に引受けましたが、事前に役人の知るところとなって捕縛の身となり獄中三年の拷問にも常に釈迦の救世捨身を信条として罪を他に及ぼさず、明和七年三月二十一日斬首の刑を受け、智専は刑場にあっても泰然自若として般若心経を朗誦したと伝えられ、この智専の大慈悲心によって、悪政改まり、智専滅後、憲盛法印と贈名され、五十三ヶ村、村ごと石碑を打ち立て永くその仏徳を讃え今尚信仰が絶えません。
無量山
真言宗
豊山派
醍醐天皇延長五年(西暦九二七年)に焼失再建の記録あるが詳細は不明。
千手観世音菩薩
法印快存