みはるかすがじんじゃ
神奈川県横須賀市三春町3ー33
本社の鎮座地旧公郷は、藤原氏の荘園であった為、奈良の春日大社より分霊勧請したと伝えられる。古くは猿島に鎮座し、猿島他小島九ツを合せ十嶋故十嶋大明神とも称され、公郷一円の鎮守であった。 猿島全島..
本社の鎮座地旧公郷は、藤原氏の荘園であった為、奈良の春日大社より分霊勧請したと伝えられる。古くは猿島に鎮座し、猿島他小島九ツを合せ十嶋故十嶋大明神とも称され、公郷一円の鎮守であった。 猿島全島を境内とし、旧三月三日には藤原氏の奉幣使として、鎌倉の深沢村より梶原氏の一族である梅沢氏が参向し、田津の浜より艫の音勇ましく、関係者一同島に渡り神楽を奏し祭典を執行した。併し、朝夕参拝する氏子の為に古来より現在地に遥拝の為の社があった。向きは今とは全く反対で、拝殿より猿島に向って拝するという世に稀な社であった。拝殿の後には樹齢七百年の大松があたかも門松の如く一対となっていたが、昭和二十六年、虫害の為切倒し、現在切株のみあり。 社殿は弘化年間以後、数度再建造営の棟札あり。弘化四年、江戸防備の為、猿島に台場建設に当り、幕府及び川越藩それぞれ三再疋の献絹あり。明治五年十月、村社列格、社殿正面二間、奥行三間、境内地四千六百三十坪と届けられた。
天児屋根命、日本武尊、伊弉諾尊、素盞嗚命、天照大神、海津見命、少彦名命、宇賀御魂命、木花咲耶姫命
村社
境内に若干のスペース有り
社務所内に有り