じんむてんのうしゃ
福岡県遠賀郡芦屋町正門町14番
初代神武天皇が東遷の途上に、この地に1年間逗留したとされる、『古事記』に「於筑紫之岡田宮一年坐」とある、岡田宮の候補地の一つ。 『日本書紀』にも記載があり、この頃から里人が社殿を建立し、祀っていた..
初代神武天皇が東遷の途上に、この地に1年間逗留したとされる、『古事記』に「於筑紫之岡田宮一年坐」とある、岡田宮の候補地の一つ。 『日本書紀』にも記載があり、この頃から里人が社殿を建立し、祀っていたという。御祭神は神倭伊波禮毘古命、つまり神武天皇。 西の方、200メートルの松原の中には、かつて御手水池があり、東遷途上において、神武天皇と五瀬命が禊をしたという。後年には神功皇后も禊をしたと伝わる。 宮跡を芦屋寺(現 観音寺)とし、境内に小祠をうつし、若宮として尊崇された。 何度も兵火で焼失、芦屋寺が芦屋町に遷され、小祠もそこで祀られていたが、江戸時代中期の延享3年(1746年)に現在地付近に再建された。 大正11年(1922年)には県社に昇格した。鳥居の扁額には「神武宮」とある。 『古事記』記載の岡田宮の候補地は他に、北九州市八幡西区岡田町の岡田宮があるが、同社が村社どまりだったことを考えると、近代当時は当社が有力候補地と考えられたか。 なお、兵庫県西宮市の廣田神社の境外摂社である岡田神社には筑紫の岡田村からの移住に関わる伝承が残され、岡田宮やその地域との関係が指摘されている。 昭和17年(1942年)、社用地が陸軍飛行場として徴用されたため、現在地に移転。御手水池もこの頃失われたと考えられる。 昭和20年(1945年)、空襲により社殿が焼失した。このため、御神体は付近の岡湊神社に遷された。 平成12年(2000年)には伊勢の神宮(伊勢神宮)より用材を受け、社殿が再建され、遷座式が行われた。 現在は、第14代仲哀天皇と神功皇后も祀るとも。
神武天皇社(じんむてんのうしゃ)は、福岡県遠賀郡芦屋町にある神社。近代社格では県社。現在は岡湊神社の兼務神社。
神武天皇
旧県社
有り