ひかんいなりじんじゃ
東京都台東区浅草2丁目31-16
安政元年、新門辰五郎の妻が重病で床に伏したとき、山城(現、京都府南部)の伏見稲荷神社に祈願したところ、その効果あって病気は全快しました。そして、同二年、町の人がお礼の意味も込め、伏見稲荷神社から祭神..
安政元年、新門辰五郎の妻が重病で床に伏したとき、山城(現、京都府南部)の伏見稲荷神社に祈願したところ、その効果あって病気は全快しました。そして、同二年、町の人がお礼の意味も込め、伏見稲荷神社から祭神御分身を当地に勧請しました。その後、小社を創建し、被官稲荷神社と名付けられ、現在浅草神社の末社としてその境内に祀られています。名称の由来は不明ですが、被官とは官を被(こうむ)る、ということから、就職・出世と解せばよいでしょう。被官稲荷神社正面の鳥居は新門辰五郎により奉納されたものです。
安政二年に創建、社殿は一間社流造杉皮葺 創建以来のものであり間口1.5m、奥行約1.4mと小さいが覆屋を構えて保護しており、関東大震災、東京大空襲にも奇跡的に焼け残った大変貴重な建築物です。
倉稲魂命
末社
安政2年
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