しょうげんじ
神奈川県足柄下郡箱根町湯本562
大本山と號す、臨済宗早雲寺末。本尊薬師、長一尺五寸餘、運慶作。開山菊径宗存、寛永四年六月二十一日卒、本寺中興の僧なり。境内に石燈臺一基あり、高六尺、銘に早川庄湯坂勝源寺燈籠、應永二年乙亥十月十九日別..
大本山と號す、臨済宗早雲寺末。本尊薬師、長一尺五寸餘、運慶作。開山菊径宗存、寛永四年六月二十一日卒、本寺中興の僧なり。境内に石燈臺一基あり、高六尺、銘に早川庄湯坂勝源寺燈籠、應永二年乙亥十月十九日別當云々の数字を彫れど、全く其頃の物とはみえず。 地蔵堂。放光堂の額をかく、閻魔の像をも安ず、正眼寺持、下同。 曽我堂。本尊三尊弥陀、左右に立像の地蔵、各長五尺二寸程、を置く。是を曽我兄弟の像と云、又其碑を置。祐成、高崇院峯岩良雪居士、建久四年五月廿九日と記す。 垂絲櫻。堂の傍にあり、圍九尺程、樹下に芭蕉の發句を彫し碑あり。(新編相模国風土記稿より)
湯本地蔵堂の別当を勤めていた勝源寺を起源。仇討ちで有名な曽我兄弟を弔う曽我堂も地蔵堂の側に建立。江戸時代に入り材木問屋冬木屋の援助を得て再建、早雲寺を中興した菊径宗存を迎え臨済宗寺院として開山。
大本山
臨済宗
大徳寺派
菊径宗存
大本山 正眼寺
木造伝曽我五郎地蔵菩薩立像(県指定文化財)、木造伝曽我十郎地蔵菩薩立像、曽我五郎の鎗突石、曽我兄弟の供養塔、石造大地蔵、勝源寺燈籠、芭蕉翁句碑