こまつなぎじんじゃ
東京都世田谷区下馬4-27-26
今から約950年程昔、平安時代後期、御冷泉天皇の天喜4年4月に源義家公が、父頼義公と共に朝廷の命をうけ、奥州の安倍氏征伐に向かう途中、この地を通過する際に子の神に武運を祈ったと伝えられており、少な..
今から約950年程昔、平安時代後期、御冷泉天皇の天喜4年4月に源義家公が、父頼義公と共に朝廷の命をうけ、奥州の安倍氏征伐に向かう途中、この地を通過する際に子の神に武運を祈ったと伝えられており、少なくともこれより以前に、この地の守護神としてお祀りされたと考えられている。 その後、文治5年7月源頼朝公が奥州の藤原泰衡征伐のため、自ら大軍を率いて鎌倉を発しこの地に至った時に、義家公が子の神に参拝したことを回想し、愛馬であった芦毛より下りて、駒を境内の松に繋いで戦勝祈願をしたと言われており、この故事により、もともとの社名であった「子の神」が「駒繋神社」とも呼ばれるようになり、明治以降に正式に「駒繋神社」と称せられるようになった。 また、新編武蔵風土記には「子の神の境内は五反(1500坪)下馬引澤の内小名子の神丸にありその所の鎮守なり、此社の鎮座の年暦を詳らかにせず、本社九尺に二間、拝殿ニ間に三間社地の未の方にも同じ鳥居を一基建てる」と記されており、当時の駒繋神社の様子を知ることができる。 創立の年代は定かではないが、源義家公が前九年の役に際し、戦勝祈願された故事を鎮座の起源として、昭和32年に鎮座950年式年大祭が、それぞれ盛大に斉行された。 現在氏子区域は下馬一丁目から六丁目であり、下馬に住む人々の憩いの場、鎮守の杜として、この町を護っている。
前九年の役に源義家・頼義が戦勝祈願をし、奥州藤原氏征伐に際して源頼朝が戦勝祈願をした源氏ゆかりの神社。元々の名前が「子の神」であることから安産祈願やお宮参りで知られる。
大国主命
子の神、子の明神
◼︎バス 渋谷駅より、東急バス渋32~34に乗車 「下馬1丁目」下車 徒歩5分 「駒繫神社」下車 徒歩3分 ◼︎東急東横線 「祐天寺駅」西口から徒歩15分 ◼︎東急田園都市線 「三軒茶屋駅」から徒歩20分