じょうぜんじ(くらまぐちじぞう)
京都府京都市北区寺町鞍馬口東入上善寺門前町
貞観5年(863)円仁が天台密教の道場として創建する。文明年間、寺門を再興した春谷盛信は、後土御門天皇・後柏原天皇 両帝の戒師をつとめる。また、後柏原天皇は当寺に行幸して「善光寺如来画影」を叡覧にな..
貞観5年(863)円仁が天台密教の道場として創建する。文明年間、寺門を再興した春谷盛信は、後土御門天皇・後柏原天皇 両帝の戒師をつとめる。また、後柏原天皇は当寺に行幸して「善光寺如来画影」を叡覧になられるなどご親交深く、後に万里小路秀房卿の執達により「勅願所不断念佛之道場」の宣旨と「千松山」の勅額を賜り、当寺は勅願所となる。文禄3年(1594年)豊臣秀吉の京都改造に伴い、現在の寺町に寺域を移し浄土宗に改められる。ご本尊の阿弥陀仏像は行基の作と伝えられ、寛永11年(1634)後水尾天皇の勅により、嵯峨「蓮華清浄寺」のご本尊を当寺に遷された。境内に「鞍馬口地蔵」を祀る六角堂があり、「六地蔵めぐり」の一つとして広く信仰を集めている。また今出川家御歴代をはじめ、公家の墓所が数多く残るほか、幕末の禁門の変で亡くなった入江九一他の「長州人首塚」がある。
上善寺(じょうぜんじ)は、京都市北区にある千松山(せんしょうざん)遍照院と号する浄土宗の寺院。
千松山
遍照院
浄土宗
貞観5年(863年)
阿弥陀仏
円仁
千松山 遍照院 上善寺
京都六地蔵