うんがんじ
栃木県大田原市雲岩寺27
栃木県那須高原のすそ野、八溝山地のふところ深い茨城県と栃木県の堺に位置しています。この辺り一帯は昔から「那須野が原」と呼ばれ、那須与一の那須家や水戸光圀公(水戸黄門)、「奥の細道」の松尾芭蕉などに特..
栃木県那須高原のすそ野、八溝山地のふところ深い茨城県と栃木県の堺に位置しています。この辺り一帯は昔から「那須野が原」と呼ばれ、那須与一の那須家や水戸光圀公(水戸黄門)、「奥の細道」の松尾芭蕉などに特に縁深い寺院でもあります。 そんな清らかな渓流に沿う境地に、臨済宗妙心寺派の名刹、雲巌寺があります。筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれ、山門の正面にある朱塗りの反り橋を渡って石段を登ると、正面に釈迦堂、獅子王殿が一直線に並ぶ代表的な伽藍配置となっています。俳聖松尾芭蕉は、この地で「木啄も 庵は破らず 夏木立」の句を残しています。 春の新緑・秋の紅葉・冬の雪景色は見事です。
石柱門の先には武茂川にかかる、朱塗りのそり橋『瓜鉄橋(かてっきょう)』。東山五橋にも数えられているこの橋の名の「瓜鉄」とは「子孫が長く続いて繁栄すること」を意味しています。
その橋を渡り、見上げるほどの石段を登りきると、天下人・秀吉による小田原征伐の焼き討ちにも耐え残った山門があります。
山門をくぐると正面に、長い歴史の威厳と風格を持った獅子王殿があります。雲巌寺は山号を東山といいます。仏国国師が関東地方を行脚中、黒羽山麓に庵をかまえた時、八溝山の高梨勝願法印が国師に禅の教えを受け、その恩に報いるため八溝山を献上し、弘安6年(1283年)に執政北条時宗が雲巌寺を建立しました。
ご本尊は釈迦牟尼仏で、仏殿右に鐘楼、左に勅使門、平和観音堂、その近くには『芭蕉の句碑』があり、仏殿のさらに上方には方丈本殿が配置されています。勅使門の石段を登りきった左に『禅堂』があります。
松尾芭蕉が江戸深川時代に禅の教えを受け、師であり尊敬する友人として慕っていた、仏頂国師が、かつて雲巌寺で修行をしたことから、芭蕉自身も元禄2年(1689年)4月に雲巌寺を訪れ、仏頂国師を偲び句を残しています。
雲巌寺はいわゆる観光寺院ではありません。厳しい禅の修行のための道場です。しかし一般の方でも自由に拝観が許されています。 寺の案内板には、『寺は、人が内なるものに心を置く道場です。単に観光のためのものではありません。高声、高笑、喫煙、酔客、諸堂立入等、他の迷惑となる所作は、堅く停止の事、観光案内は致しません。聖域の逍遥をお楽しみ下さい。』と記されています。
雲巌寺(うんがんじ)は、栃木県大田原市雲岩寺にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は東山。本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)。開山は高峰顕日(仏国国師)、開基(創立者)は叟元和尚(寺伝)。
東山
臨済宗
妙心寺派
弘安六年(1283年)
釈迦牟尼佛
高峰顕日(仏国国師)
叟元和尚(寺伝)
有り