きのわじんじゃ
山形県酒田市城輪字表物忌35
創始年代詳かではないが、国史現在の古社にして、城輪の北辺に近き高敵の 地に鎮座する。「日本三代実録」によれば清和 天皇貞観七年二月二十七日従五位下を授けられ、更に陽成天皇元慶四年二月二十七日従五 上..
創始年代詳かではないが、国史現在の古社にして、城輪の北辺に近き高敵の 地に鎮座する。「日本三代実録」によれば清和 天皇貞観七年二月二十七日従五位下を授けられ、更に陽成天皇元慶四年二月二十七日従五 上に昇叙されたことが見え、古来出羽一之宮大物忌神社につぐ二之宮と伝えられて いる。往古は神領多く隆昌を極めしが、天正 年間の相次ぐ兵乱に焼失し漸次衰類したが、 猶社頭の東西に徒屋敷、 寺屋敷の地あり、 田畑の字名に正月油田、鳥居畑、物忌田、鏡 田、玉田、倉稲田、 直会田、 笛吹免、太鼓免 等を存するのは即ち社領の名残である。 又古 来勅額と言い伝え 「表面に、城輪裏面に天徳 「四年五月宮御」の墨痕を存する木片及び殿内に衣冠の古木像ありしが明治六年一月十六日 社殿の炎上と共に烏有に帰せりと言う。宝永、天保の両度旧領主酒井家より幣帛料若干を 納せらるる。 明治七年九月社殿を再建する。 同九年二月二十四日村社に列す。同十年三月 内務省より国幣中社大物忌神社摂社に定めら る。明治十五年に永代講中結成され今日に至 る。明治二十七年十月二十二日の庄内大震災 により拝殿半壊となり同年内に解体、翌年七 月には規模は統べて旧形に倣い再建する。 大 正五年四月二十日神饌幣帛料供進神社に指定、 昭和七年三月九日県社に昇格せられる。 昭和四十一年、本殿屋根を銅板葺、拝殿屋 根を瓦葺に改造、昭和五十二年からは氏子の 子供達によって神子舞を奉納猶続けられている。
城輪神社(きのわじんじゃ)は、山形県酒田市にある神社である。昭和6年(1931年)に神社周辺から古代の城柵址が発見され、当社が城柵の鎮守神であることが分かった。出羽国二宮で、旧社格は県社。延喜式神名帳への記載は無いが、六国史にその名が...
稲倉魂命
出羽国二宮 七級社 旧県社
八月十七日
御頭神事