この稲荷神社は通称”満足稲荷“とか”東山稲荷“と呼ばれている。祭神は稲をつかさどる神、倉稲魂命である。江戸時代、当地は上の寛永寺領内、輪王寺の御薪林で、東山と呼ばれていた。明和4年(1767)正月、御薪林の住民が京都伏見稲荷本宮より、宮司羽倉摂津守信郷から御神体を授かり、当地に勧進鎮座したのがこの社のおこりである。
満足稲荷と呼ばれたのは、豊臣秀吉が文禄年間(1592~1596)、伏見桃山城に守護神として、伏見稲荷を鎮座してから幸運に恵まれ、”満足、満足“と呼称した故事による。たび重なる戦災、自然災害で、社殿の破損が進んだため、町内の崇敬者により、昭和27年(1952)今日のような社殿が造営復興された。神社には、高村光雲作の神輿や江戸期の絵馬などが保存され、境内も江戸の面影を今日につたえている。
(満足稲荷神社境内の案内より)