じょうぎじんじゃ
宮城県仙台市青葉区大倉上下
明治後期、北海道の伊達地方では、流行り病が蔓延していた。ある 1 人の男性もまた、孫が病気にかかり生死の境を彷徨っていた。なんとか孫の病を治すことが出来ないか。そう思いながら浜辺を歩いていると、砂の..
明治後期、北海道の伊達地方では、流行り病が蔓延していた。ある 1 人の男性もまた、孫が病気にかかり生死の境を彷徨っていた。なんとか孫の病を治すことが出来ないか。そう思いながら浜辺を歩いていると、砂の中にめずらしい形の石を見つけた。 よく見るといかにも子供が横たわっているように見えたの で、手で砂を掻き分け掘ってみると、石には「定義社」との刻印が見えた。 「ひょっとするとこの石は!」と藁にもすがる思いで、 「もし孫の病気を治すことが出来たなら、お宮を建て、祀らせていただきます」と願掛けをしたところ、奇跡的に病気が治り孫は元気な姿になった。これは神様の思し召しと思い、その後お宮を建てる準備を進め、しだいに集まった 5 人の仲間と共に、明治 44年お宮が建立された。この石は「定義神社」として祀られることとなった。 この話を聞いた人々が各方面からお参りに訪れ、 人々の病気が治ったのをきっかけに、千羽鶴など色々な物が奉納されるようになった。 以降、この神社は病気だけでなく、商売繁盛、五穀豊穣、家内安全、もめ事などにもご利益があるとして、長い間人々に親しまれ、お参りされた。 そして、 令和元年秋、 不思議なご縁に導かれ定義にこの御石が納められ、令和二年春、 新型感染症の流行るこの時にこの御石が祀られることになったことも、定義如来のお導きかと感じられる。