由緒
明治31年(1891)9月12日 当時野深106番地山下源七の宅地の祠に屋敷神として祀られていた天照大神を部落の総意で現在地に1坪の神社を建立して祀り野深神社と称しました。
創建当時わ姉茶地区、上野深地区も氏子として奉祀していましたが、明示32年(1899)に姉茶神社、大正9年(1920)に上野深神社が建立されて神社区域から離れたため、現在では下野深地区の神社となっています。
明治35(1902)年11月4日 社殿1坪半を増築し天思兼命を増祀しました。
昭和33年(1958)9月27日 日高地方を襲った台風22号により社殿が倒壊し翌34年(1959)9月11日地域住民に寄付を募り、3坪の社殿を建立しました。
昭和55年(1980)篤志家の寄付を受けて社殿内部の塗装、屋根の葺き替えを行い、鉄製の鳥居を建立しました。
棟札
明治35年(1902)に社殿を増築したさいに書かれた棟札が残されています。
表には増祀した天思兼命、手置帆負命(タオキホイノミコト)、彦狭智命(ヒコサジノミコト)、世話人として13名の名が記されています。
裏面には明治35年11月4日上棟式執行。