おしきりかんのんどう
山形県尾花沢市押切
昔、芭蕉も歩いたという山刀伐街道に位置する押切地区は、交通上大変な難所で地域住民は非常に難渋していました。前山に立つ当観音堂は明治二十年頃、丹生村巣林寺の五十嵐住職が交通の安全祈願と住民の観音信仰の..
昔、芭蕉も歩いたという山刀伐街道に位置する押切地区は、交通上大変な難所で地域住民は非常に難渋していました。前山に立つ当観音堂は明治二十年頃、丹生村巣林寺の五十嵐住職が交通の安全祈願と住民の観音信仰の求めに応じ、当地の地頭・森山文七と相談して建立したといわれています。
当時の観音堂は、天井絵をほどこした立派なもので、昭和初期に文七家の主が西国二十一番穴太寺の御砂を戴いて来て観音堂の玄関口に納めたといわれています。その観音堂も昭和十九年の冬に大雪の為つぶれてしまったが、観音様は奇跡的につぶれず残っていました。
現在の観音堂は、昭和二十七年の八月に地元の観音講員が発起人となって再建されたものです。
観音堂は押切地区の山中に在り、詳細な場所は不明 聖観音菩薩は、押切地区で管理しているので拝観不可
聖観世音菩薩
尾花沢大石田新西国三十三観音霊場 第二十一番札所 聖観世音菩薩
押切地区の山中にあり、詳細な場所は不明
なし