社伝によれば、平安時代初期の延暦年間(782年~806年)に大井川の扇状地の末端部分である藤守で農耕を営む人たちが、水害を恐れ平安豊穣を祈って大井川そのものを神霊とし、川除けの神「大井宮」を創祀したのがはじまりとされる。
毎年3月17日には境内で、民俗芸能【藤守の田遊び】という、大井川の治水と一年の豊作を祈念して、田植えから稲刈りまでの農作業の様子を表す25組の演目と番外で構成される舞が奉納される。
田遊びが初めて奉納されたのは、平安時代後期の寛和年間(985年~987年)に社殿を新たに建てた時とされ、室町時代末期に今の様式が定まったとされる。演者は藤守地区の未婚の青年で、女性用の襷や帯で飾った色彩豊かな衣装を身に着け、頭にはショッコと呼ばれる藁笠を被る。ショッコの頭頂部には、演目ごとに異なる華やかな装飾がされ、特に10番「徳太夫」、21番「猿田楽」の演者が被るショッコに付ける万燈花は花が満開になる様を表しており、その舞はひと際華やかである。