ぎょくぞういん
埼玉県春日部市粕壁3-1-12
承久の乱(1221)のころ、武蔵から信濃に移り住んでいた春日部形部三郎貞幸は北条泰時の京都攻めに途中から加わり功をあげたが、宇治橋の戦いで討ち死にした。 延元元年(1336)春日部左近蔵人家縄は..
承久の乱(1221)のころ、武蔵から信濃に移り住んでいた春日部形部三郎貞幸は北条泰時の京都攻めに途中から加わり功をあげたが、宇治橋の戦いで討ち死にした。 延元元年(1336)春日部左近蔵人家縄は、この霊を弔うため館の東側浜川戸寺地に僧俊榮に依頼して当院を建立。また、浜川戸の八幡神社は春日部氏の鎮守社であったことから当時の当院住職は代々、八幡神社の別当職を務めていた。 その後、幾たびかの火災に遭い院境内に仮本堂であったものを、中祖傳榮が旭町の地に再建した。慶弔12年(1607)には僧尊雅が入寺し、以後、最勝院の末寺として興隆した。 昭和39年(1964)に岸光坊(玉蔵院墓地)のある現在地に本堂を新築し、翌年移転。
承久の乱(1221)のころ、春日部形部三郎貞幸は北条泰時の京都攻めで功をあげたが、宇治橋の戦いで討ち死。延元元年(1336)春日部左近蔵人家縄は、この霊を弔うため館の東側浜川戸寺地に僧俊榮に依頼し当院を建立。(玉蔵院のあらましより)
八幡山
真言宗
智山派
延元元元(1336)創建
阿弥陀如来
東武スカイツリーライン 春日部駅東口 徒歩6分