創建年代不詳とされるが、「玉里町史」によれば、天喜5年(1057年)に八幡太郎こと源義家が奥州征伐の途中で武運長久を祈願したことにより、延久4年(1072年)創建という。口碑によれば、義家が当地を通過する際、通路が甚だ悪く、石橋を掛けて軍を渡したので、「石橋」という地名(字)になった。後に、平石が発掘され、これを「駒止め石」と称したという。寛永2年(1625年)、領主・皆川大和守が武運長久祈願のため、田一反二畝を寄進した(八幡免)。元禄2年(1689年)、別当・天台宗「西光山 地蔵院 極楽寺」(小美玉市栗又四ケ1241に現存)の住職が社殿建替。昭和3年、村社に列した。