当寺は弘仁7年(816年)、慈覚大師により現在地の西方の山御堂と呼ばれる高地に立てられた堂宇である。天正3年に焼失するが、文禄2年、明音寺三世大光文岳は山御堂跡で密行中に夢を見る。「我は円仁と申すものなり。我が彫りし聖観世音菩薩は木の元にあり。汝、菩薩を見つけ信仰により衆生を救い給え。」文岳和尚は観音経を一心に唱えると光明とともに聖観世音菩薩が現れたという。文岳和尚は菩薩像を持ち帰り、薬師堂のあった現在地に村人の寄進にて堂宇を建立し、本尊として祀り、宝壽山 正全寺と名付けた。(正全寺本尊縁起により)