毛利元就が祭神の、毛利家ゆかりの社である。
元就は生前、自分の木像を造り山吹城に安置させたが、元就の孫の毛利輝元が同春山長安寺を建立し、木像を移した。
関ヶ原の役後、石見銀山を徳川氏が支配する中で長安寺が荒廃したため、元禄4年(1691)毛利家は木像を萩の本藩へ引き上げた。大森住民から木像在置の希望があり、毛利家は代わりに新しい木像を造らせ安置した。
嘉永2年(1849)火災により神殿、拝殿及び宝物など焼失したが木像は難をのがれた。
慶應2年(1866)大森へ入った長州軍は、藩祖の木像があるのを知り、浄財を募って本殿を始めとした境内地を整備した。中隊司令祖式信頼ら172名の隊士名が境内の献納物に刻まれている。
その後明治3年、明治天皇の宣下により長安寺は豊栄神社とされた。