緒社伝によると、永禄、元年間(一五五八〜七三)戦国時代に戦場を往来した武士の林、鈴木、野本、佐野らが一族を連れ、この地に来て土着し、元亀四年(一五七三)に鎮守の社として建造し、御神体に赤坂の嶽城より十一面観音像を勧請し、牛頭天王として奉祀したのが当社の創建となりました。その後に、元和六年(一六二〇)山城国祇園社より改めて牛頭天王を勧請しました。
明治に制度改めにより、観音像は宗心寺に移し、蔵子神社と称し明治二年四月、村社に列せられました。現在の本殿、拝殿等の社殿は大正七年十月に造営されたものです。戦後の制度改正により昭和二十七年から宗教法人蔵子神社となり今も蔵子の産土神(氏神様)
として広く崇敬されています。