当社の創祀については、詳らかにし難い。しかし、社伝によれば熊野新宮の阿須賀神社の末社として創祀されたと伝えられている。現存している寛永15年(1638)の棟札(尾鷲市最古)に「此宮仁無年歴代々校見来者七百余古宮也」から少なくとも一千年以上、又、当社周辺の地域より縄文土器が大量に出土しているから、更にそれ以上の古さを持つと考えられる。 近世には、産土神阿須賀大明神として曽根を中心に賀田、梶賀、古江の四郷の崇敬をうけている。明治4年(1871)村社に列せられ、同39年(1906)神饌幣帛料供進社となり現在に至っている。