創建は永禄8年(1565)に本無在道が創建したと伝えられます。 戦国時代末期に当地域を支配した最上家の家臣で楯山城主となった北楯大学利長の菩提寺として篤く庇護されています。利長が領主(狩川城の城代3千石)になった時は50歳を越える年齢でしたが、積極的に新田開発を進め「北楯大堰」と呼ばれる堰は現在でも生き続け、彼の墓は貴重な事から昭和30年(1955)に山形県指定史跡となっています。見龍寺寺宝には絹本暮色雪景の図屏風(4曲1隻、太田義一筆)があり昭和48年(1973)に庄内町指定有形文化財に指定されています。 現在の本堂は明治中頃に火災があり、その後、明治27年(1894)から大正9年(1920)にかけて再建されたものですが、本堂を始め、庫裏、開山堂、山門などを備えたもので、落ち着いた雰囲気をもっています。