養老2年、大野東人の勧請と伝えられ、紀州熊野大権現の分霊を祀った社で、もとは上曽慶熊野にあった。
平城天皇の大同年中(806〜810)征夷大将軍坂上田村麻呂、奥羽の余賊平定に進発し、自ら当社に詣でて夷狄の降伏天下泰平
の神助を祈願し程なく平定するにより、報賽のため堂字を修理し祭事を行う。時大同二年(807)六月十五日なり。
慶安2年(1649)12月火災により焼失し、 延宝7年(1679)に再興と伝えられます。
本殿は、桁行1.79m梁間1.98m切妻造。
妻入り栩葺きの建物で、虹梁に施された渦
文、若葉文の手法など江戸初期の様式の
特徴を表している。切妻造で妻入り、栩葺
きは熊野神社形態としては異例で、本件の
みならず全国的にも珍しく建築史上貴重
な構造です。岩手県指定文化財(平成5年
9月)