おがわうちじんじゃ
三重県津市芸濃町河内 2553
当神社は延喜式内社で、古来多くの研究者によって種々の説がたてられてきたが社名の読み方もオカワチと読むのが穏当のようである。祭神にも諸説あるが河内の首等オビトの祖であるという天穂日命を主祭神としている..
当神社は延喜式内社で、古来多くの研究者によって種々の説がたてられてきたが社名の読み方もオカワチと読むのが穏当のようである。祭神にも諸説あるが河内の首等オビトの祖であるという天穂日命を主祭神としている。小河内大明神または御靈大明神として古来から崇敬者の多い社であった。落合から南垣内に至る道に「古社」という地名が残されているが、もとはこの地が鎮座地でいつの頃か現在地に遷座されたもののようである。もと南垣内の宮の内に鎮座の産土神を御靈大明神を称えており鳥居にその扁額をかかげていた。河内谷八地区の総氏神で明治四一年七月二三日各地区に鎮座の一七社を合祀して今の神社になった。合祀した半数以上の神社が「山神社」であったことは山深い土地柄をよくあらわしている。氏子数は一五〇戸程であったが、昭和六一年安濃川上流に灌漑用のダム(錫杖湖)が建設されて多くの居住圏が湖底に沈むことになったため、氏子数は頓に減少し、今では二三戸を数えるにとどまっている【平成五年三重県神社誌より】
《主》天穂日命《合》健速須佐之男命,天忍穂耳命,八所御霊神,活津彦根命,天津彦根命,熊野久須日命,市伎島姫命,田心比売命,多紀理津姫命,八衢毘古神,八衢毘女神,久那斗神,
新嘗祭