たてひかわじんじゃ
埼玉県志木市柏町3-6-19
当氷川神社は「素戔鳴尊」を祭神として祀る人皇五十六代清和天皇 貞觀年中(一一〇〇年前)時の郡司藤原長勝が武蔵一の宮氷川神社 より分祀創立せるものと伝う、長勝の館跡は長勝院として現存する 当地は古く..
当氷川神社は「素戔鳴尊」を祭神として祀る人皇五十六代清和天皇 貞觀年中(一一〇〇年前)時の郡司藤原長勝が武蔵一の宮氷川神社 より分祀創立せるものと伝う、長勝の館跡は長勝院として現存する 当地は古くより奥州街道鎌倉街道の主街道に沿い旅人の往来しけく宿場を 形造り上宿・中宿・下宿の名称現在に伝う。戦国時代に柏城の築の八神域は 大手門にあたり守護神として崇敬あつく毎年秋二日間に互りて 大祭が行は札附近の舘村・引又村・中野村・針ヶ谷村、北野村の総鎮守と して代子の尊崇あつく「館の郷」の名之に始る、御神体水像二体安置さる 素戔鳴尊(養老元年作一二六〇年前)及供人行者一体 御神体 鳥居真鋳板金の海幣(慶安五年四代徳川家綱時代作) 大鳥居は挙作り(寛政四年五月建立一九〇年前) 社殿は慶安五年萱葺より板葺に改築享保十四年徳川吉宗時代に拝殿 の増築を行い形態を整備した、嘉永六年(一三五年前)社殿の大改築が行は れ神殿は袋拶にて舘村名工高野満毒五郎氏若心の作と云う記念するため「張鎮守氷川大明神」の碑建立せりこの時社務所も建設した。 次 で明治四十三年十月氏子中の小社を合祀した。例大祭期日を四月十一日に改定 大戰后神社法人として国家の庇護から高れた、昭和五十一年四月二級社に 昇格したこを機会に損傷甚しくなった社殿等改築の意見昴まり氏子を中心に「昇格記念事業奉賛会」を結成するに至った。 昭和五十一年九月十二日発足同時に犬子信者各町内会を中心に運動を展開し た翌昭和五十二年八月八日社殿工事起工を皮切りに改築事業が開始された 氏子地域住民の協力により浄贱約五八九〇万円(寄附者八七〇名)が集められ社殿 会館・鳥居等全軟的事業が完成昭和五十三年十月二十九日竣工祝典を行い現在に至る
20分
あり。境内の武道館で催しある時は注意。
なし