ごりょうじんじゃ
栃木県那須郡那珂川町恩田49
源平の合戦で活躍した武将「那須与一」と大変ゆかりの深い神社です。那須与一は、屋島の合戦で、船上から平氏の扇の的を見事一発必中で射落としたことで有名ですが、その武功としてこの地域を那須総領として治めた..
源平の合戦で活躍した武将「那須与一」と大変ゆかりの深い神社です。那須与一は、屋島の合戦で、船上から平氏の扇の的を見事一発必中で射落としたことで有名ですが、その武功としてこの地域を那須総領として治めた方です。 与一は扇の的を射るときに八幡大菩薩へ祈念していたといわれ、そのお礼のため京都の石清水八幡宮に参詣したが、その帰路、京都の伏見の即成院において急死します。その時の供人であった「角田四郎」が遺命を受けて、分骨を那須の地に斉し、そのひとつがこのお社です。 貞享年間(1684~1688)烏山藩主・永井直敬が社殿を修築した。 境内には弓道場が併設されています。
那須与一宗隆(なすのよいちむねたか)
三和神社から北東に500m。車で5分。