ひらかわよどひめじんじゃ
熊本県菊池郡大津町平川236
肥後国誌又合志川芥に、「昔嵯峨天皇の御宇に、肥後国川上に玉かづらといふ美人あり」
豊後(一説には阿蘇)の国より忍びの者を以て盗み出し、此処まで逃げ来りしに玉かづら心中に淀姫を祈り、「我を捨て給..
豊後(一説には阿蘇)の国より忍びの者を以て盗み出し、此処まで逃げ来りしに玉かづら心中に淀姫を祈り、「我を捨て給はずば再び故郷に帰へし玉へ」と祈りしに、忽ちいづこともなく百騎ばかりの武者現れ、忍びの者と共に戦ひ奪ひ返して帰る。 ここに玉かづらの親類等肥前より追ひ来れば、此の由を物語るに右の武者ども忽ちに行方知れずなりにける。 故に淀姫の御助とてここに淀姫宮を建立す。 又武者の消えたる所を今に百騎帰りといふ(百騎帰りは河辺村の内竹迫境にありと)。 (純巨日、以上もとより俗説であるが、大永三年は菊池二十四代武包が箇井城に拠って阿蘇惟豊の軍と戦ひ、破れて肥前高木に走った時である。 菊池氏は従来より肥前・筑後・筑前とは甚だ縁故が深い。社家の伝ゆる如く菊池氏衰運の時に臨んで、縁故深い肥前一宮の川上社を勧請し、氏の繁栄を祈ったものと見るべきであろう。官制明細帳にも菊池氏勧請とある。)
淀姫神 竹内宿禰神 比咩御子神
旧指定村社
大永元年(皇紀二、一八一年)肥前国一宮川上神社の御分霊を菊池氏勧請
本殿 銅版葺7.00坪 幣殿 瓦葺2.00坪 拝殿瓦葺 8.60坪
阿蘇高原線 肥後大津駅 から徒歩45分(3.6km) 平川郵便局前バス停 から徒歩1分(72m)