しんめいしゃ
宮城県塩竈市浦戸寒風沢字日和山59
土御門帝の元久(1204、鎌倉)の頃より洲ノ崎(神明村)に御鎮座あり、宇南明神、稲荷神社と称した。後、後土御門帝の応仁年中(1467、室町)楠氏の遺臣某修験となりて此地に来住し本社を修造した。寛永年..
土御門帝の元久(1204、鎌倉)の頃より洲ノ崎(神明村)に御鎮座あり、宇南明神、稲荷神社と称した。後、後土御門帝の応仁年中(1467、室町)楠氏の遺臣某修験となりて此地に来住し本社を修造した。寛永年中(1624~1643、江戸)に至り豊臣氏所縁の者、亦此の島に流寓当浜開港に際し新に社殿を造営して常に尊信措がざる伊勢両神を奉斎し宇南の神を相殿に祀り神明宮を奉称したと伝えられる。明治5年3月村社列格。同40年4月供進社に指定。現今の社殿は享保7年8月改造のものである。境内社中大根社は、此の浜の南海中の暗礁が元大なる嶋でこの上に鎮座あり。この島は孝安天皇の代大地震の為海中に没したので鎌倉時代にいたって洲ノ崎に遷祀した。6月1日を例祭とするはこれを記念する為であるといわれる。
10月10日