かねやまじんじゃ
宮城県伊具郡丸森町金山表小路12番地
鎮座地は、伊達家の家臣中島伊勢宗求の子孫が相次いで治めた金山城の南西の急坂中腹に位置している。金山は城下町と言えるが、古来この地は交通の要所であり、宿場町として栄えた。 律令時代から伊具郡ではあっ..
鎮座地は、伊達家の家臣中島伊勢宗求の子孫が相次いで治めた金山城の南西の急坂中腹に位置している。金山は城下町と言えるが、古来この地は交通の要所であり、宿場町として栄えた。 律令時代から伊具郡ではあったが、長い一時期相馬藩の支配下ぎ続き、伊達政宗公がかろうじてこれをおとし、大内・宇陀郡まで手に入れた後に中島家が城主に配置されたもので、現在も要害跡付近は侍屋敷の観を呈しています。 中島家が祀っていた神明社は明治8年に村社に列せられていたが、政府の方針に従い大正5年、八幡神社(中島家の護神)と天神社を合祀して現在の金山神社と改称した。
天照皇大神、誉田別尊、菅原道眞公
4月17日
あり
無し