こうだいじ
北海道北見市大町161
高台寺は、北海道開拓屯田兵の願いと開基佐伯種貞和尚の粉骨とで生まれた寺です。 明治30・31年、 野付牛村(現北見市)に入地した屯田兵は六百戸、 この中二百戸は曹洞宗の信徒でありました。 当時三..
高台寺は、北海道開拓屯田兵の願いと開基佐伯種貞和尚の粉骨とで生まれた寺です。 明治30・31年、 野付牛村(現北見市)に入地した屯田兵は六百戸、 この中二百戸は曹洞宗の信徒でありました。 当時三ヵ寺の寺院は官設の本願寺派の寺院のみで禅宗の寺院は一ヶ寺もありませんでした。屯田兵信徒有志は本来帰依する禅寺を設立したいと切望し、開教師を探す事になりました。 ここに京都丹波出身の吉田又衛門は信徒有志の依頼を受け長駆丹波に赴いて蟠根寺佐伯種貞和尚に請願をしました。 これにより、和尚の来村となり開教の一歩が踏み出されました。時に明治34年5月12日のことです。 佐伯種貞和尚によって曹洞宗説教所として出発したこの寺は、明治40年、 護国山高台寺と寺号公称、 大正13年に十五間四面の大本堂と諸伽藍を建立します。 しかし大正15年、祝融に合ってその全てを焼失してしまいました。 後四十年を経て昭和42年五世佐伯種孝代に至り、本堂を再建、55年に納骨堂を始めとして、平成12年までに、総門 山門、 庫裡客殿、 坐禅堂、開山堂等すべての伽藍を復興し、さらに参道・駐車場・庭園等境内を整備、道東随一の名勝として現在に至っております。
護国山
曹洞宗
1901年(明治34年)
釈迦牟尼仏
佐伯 種貞
有り