れんしょうじ
北海道帯広市西6条南16丁目1番地
明治32年10月、開拓が進み多くの移住者が住み着いた帯広の地に、題目を切望した日蓮聖人門下の信徒たちは、相寄りあって寺院建立について協議を行った。 話し合いは順調に進んだが優れた僧侶を招くにはどの..
明治32年10月、開拓が進み多くの移住者が住み着いた帯広の地に、題目を切望した日蓮聖人門下の信徒たちは、相寄りあって寺院建立について協議を行った。 話し合いは順調に進んだが優れた僧侶を招くにはどの門流を選ぶのが適当であるかが一大問題となり、互いの我門流をと譲らず協議の結果、抽選が行われた法華宗(本門流)と決定し、北海道庁より無償貸付の認可により486坪を貰い受けた。 岡山県松壽寺より豊田日珖上人が赴任することなり、明治32年11月28日に説教所設置の許可がおり、五十五坪の本堂兼庫裡を建立し、大本山本能寺大本山本興寺布教所道場が建てられた。 二世住職を四国の國祐寺より日逞上人を迎え、大正6年11月10日に勝原山蓮承寺と寺号を公称とした。 その後、若林日史上人が三世住職となり寺門の興隆に尽力された。 平成11年には檀信徒協力のもと105坪の現 本堂を建立し、その翌年に第四世若林逞龍上人へと継承した。 厳しい冷涼とした状況の中で挫けそうになる過酷なら生活であったが、神仏に心の拠り所を求め、その信仰を精神的支柱とし、人々の絆を確かなものにしようとした考えられ、開拓移住者たちが「帯広の地に題目の道場を」と願って点けられた法の灯は今猶その後継者たちによって守られている。 ー法華宗信報令和元年7月1日号よりー
勝原山
法華宗本門流
1899年(明治32年)
豊田日珖上人
蓮承寺
JR帯広駅から歩いて9分
あり