にしかわきたすがわらじんじゃ
宮崎県えびの市大字西川北1244
『三国名勝図会』より摘記すると、「天満宮大聖威徳天神宮東村にあり、所(レ)祀北野宰府威徳の三天神と云。共に菅丞相相道真の霊なり。威徳は本朝神社考に日、昌泰四年(901)因(二)左僕射藤時平の讒(一)..
『三国名勝図会』より摘記すると、「天満宮大聖威徳天神宮東村にあり、所(レ)祀北野宰府威徳の三天神と云。共に菅丞相相道真の霊なり。威徳は本朝神社考に日、昌泰四年(901)因(二)左僕射藤時平の讒(一)左(二)遷大宰都督(一)而薨。未(レ)死先自裁(レ)疏訴(二)天帝(一)其霊奮激為(二)威徳天神(一)也云々 祭祀毎歳十度其中十月十日を正祭とす。闔邑の総鎮守なり。昔時道正某なるもの京都より勧請せしとぞ。飯野邑の市坊道正三左衛門は其の子孫といひ、家に笈を蔵む。是を護り下れる時、神体を安んぜしものなりと、祭祀の日、今に其の笈を携へ来たりて祀事に与る。松齢公飯野城に在し時崇敬し給ひ、正祭には鏑流馬を帳行せられたり。伝云、当社火災に罹り古来の由緒記事等焼失し万治の年(1658)再興す。社司黒木主税座主威徳院。道正某の御神体を護り下る時、御供人として旧島内村の十六門の者来りて永住す。」とある。 寬文五年(1665)五月宝殿改築。社格は往古より郷崇社と唱え旧藩時代馬関田(まんがた)郷の総鎮守であったが、旧吉田馬関田両郷合併し真幸郷となり明治五年八月二日郷社となる。昭和四十九年一月本殿は市の文化財に指定される。
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
郷社
本殿(三間社流造)16坪 拝殿(切妻造)16坪
十一月二十三日
七月二十五日輪くぐりしを行う夏越祭、道真公は農を勧める心があつく牛馬を愛したと言われ、このことから始まったとされる七月二十八日の牛越祭りが、境内にある豊受神社で行われる。江戸時代後期には市内はもちろん、熊本県球磨や鹿児島県菱刈地方から参拝する牛は数百頭に達し、高さ五〇センチメートル長さ四メートルの丸太ん棒を牛に飛び越えさせて、厄を祓ったといわれる。また、馬関田神楽も伝承されている。