ひのくまのあこのおかのえのみささぎ(もんむてんのうりょう)
奈良県高市郡明日香村大字栗原
明日香村にある文武天皇陵は、天武天皇と、持統天皇の孫である文武天皇の陵墓と推定される場所で、国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区の南端に位置しています。『続日本紀』に火葬されてこの陵に葬られたと記されたこ..
明日香村にある文武天皇陵は、天武天皇と、持統天皇の孫である文武天皇の陵墓と推定される場所で、国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区の南端に位置しています。『続日本紀』に火葬されてこの陵に葬られたと記されたことが根拠となって、宮内庁が治定管理する天皇陵のひとつになっています。 宮内庁の管理する陵名は、檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)。考古学名は栗原塚穴古墳。 文武天皇は、14歳の若さで即位し、藤原不比等の娘、宮子と結婚(公式記録の『続日本紀』には妃や皇后を持った記録はありません)。 弓術に秀でた天皇でしたが24歳という若さで夭折しています。 ただし、文武天皇陵(栗原塚穴古墳)は、墳形、石室の形状も定かでないため(天皇陵であるため学術調査もありません)、文武天皇陵は、高松塚の北にある中尾山古墳(古墳時代終末期の八角墳)とする学説も有力です。 文武天皇は、697年(文武天皇元)年、藤原宮に即位し、大宝元年8月3日(701年9月9日)に大宝律令を完成させています。 文武天皇は、707(慶雲4)年に飛鳥岡で火葬されています。 御陵印の保管場所は、畝傍陵墓監区事務所(奈良県橿原市大久保町)。(ニッポン旅マガジンより引用)
近鉄吉野線飛鳥駅から徒歩20分