当山は「 松国山 来迎院 佛成寺(ぶつじょうじ)」と号し、正和2年(1313年)3月、会津黒川(若松)城下の東明寺3世覚阿上人によって開創されたといいます。
戦国時代、伊達晴宗家臣小松城主・桑折播磨守景長の中興にかかり、城内館ノ南に堂宇を構え、連歌会など外交の拠点となりました。桑折播磨守景長は先祖以来時宗への信仰が篤く、期阿弥と称し、また桑折貞長とも名乗りました。伊達晴宗の執政となり活躍しましたが、晩年は桑折宗長に家督を譲って当所に隠居し、天正5年(1577年)9月19日、72歳で入寂されました。生涯における様々な功績から、当山の過去帳においては唯一の院殿大居士号を贈られています。
江戸時代のはじめ慶長7年(1602年)、会津より上杉氏に従って米沢へ移り、2月27日直江兼続、大国実頼ら27人と亀岡文殊堂奉納詩歌百首に参加した東明寺其阿文峯上人が当寺に隠居されました。直江兼続の弟・大国実頼は、このあと上杉家を出奔し、晩年に当地・中小松村で暮らしたといわれます。
江戸時代にはたびたび火災に遭ったため、現在の本堂は明治2年建造の仮本堂を使用しています。開山以来、御本尊および熊野三社大権現を護持しています。
昭和29年、境内に小松幼稚園を開園し、今では地域の児童福祉に努めています。
平成21年、大河ドラマ『天地人』放送を記念し、連歌の名手といわれ中小松で晩年を過ごしたといわれる直江兼続の弟・大国実頼を顕彰し、中世盛んに行われていた連歌会を復興しました。