八幡神社は、天文22(1533)年に伊達氏の家臣である湯目雅楽允(ゆのめうたのしょう)に与えられた栖島城(すのしまじょう)の一角にあった神社で、以降は郷中総鎮守としての社格を持ちました。
本殿は、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で、曲線で構成される禅宗様の肘木(ひじき)や類例の少ない二重虹梁大瓶束(にじゅうこうりょうたいへいづか)、木鼻(きばな)の形態、優美な蟇股(かえるまた)、厚板葺折れ屋根など他と比較して際立った特徴を持っています。
また、棟札が多く残り、本殿の建築や修理に関する経緯がわかるほか、建築年代や建立に関わった大工職人を特定することができるなど、地域の建築史を知るうえで重要な建造物です。