創建年代は不詳ながら、『郡村誌』に「往古は玉造神社と唱へたりと云」とあり、古くは玉造神社と呼ばれ、古代の玉造部が創祀し奉斎した社ではないかと考えられている。この玉造神社が八幡神社になった時期や経緯については明らかではないが、地内にある玉泉寺は源頼朝の弟である範頼草創の慈眼院を再興したものであるとの伝承があることや、近くの津田には鎌倉の鶴岡八幡宮の放生会料所にかかわると思われる八幡神社があることから、源氏の台頭に伴い、源家の氏神である八幡神社が玉作に勧請された結果、旧来の玉造神社が衰徴したか、社名を改め、今日の八幡神社になったものと思われる。