やまぐちじょうあと
岐阜県本巣市文殊1-109
築城年代は不詳。江戸時代初期の『美濃国諸旧記』には鎌倉時代初期に梶原景時が城主であったという記述があるが、その他の伝承は不明。また、古田重勝が城主だったとも伝わる。なお、麓の山口地区には城館と思われ..
築城年代は不詳。江戸時代初期の『美濃国諸旧記』には鎌倉時代初期に梶原景時が城主であったという記述があるが、その他の伝承は不明。また、古田重勝が城主だったとも伝わる。なお、麓の山口地区には城館と思われる屋敷跡があったといい、8代城主・古田織部の生誕地とされるが、古田織部(重然)ではなく重勝(織部とは一族)の誤りとされる。 城の西には谷汲街道と越前街道が交差しており、根尾川も濃尾平野に出るという地形で、軍事上の要衝となっている。現在も山頂周辺には曲輪や虎口、井戸跡が残されている。
有り(文殊の森管理棟前)