しろいわにうじんじゃ
和歌山県有田郡有田川町小川2639
当神社の創始について明らかでないが、もと白岩山東麓の白岩谷の渓流に面してあったのを明応5(1496)年(室町時代末期)、時の石垣城主(鳥屋城々主とも云う)畠山刀千代丸(後の石垣城々主六代目畠山尚慶公..
当神社の創始について明らかでないが、もと白岩山東麓の白岩谷の渓流に面してあったのを明応5(1496)年(室町時代末期)、時の石垣城主(鳥屋城々主とも云う)畠山刀千代丸(後の石垣城々主六代目畠山尚慶公のこと)が、現在地に勧請し崇敬して神供を寄付したと伝えられる。 詳しくは当初の棟札の裏書に、明応5(1496)年丙辰正月23日天王寺より工祖20人を招致し新に社殿を建設し、同年3月16日上棟白岩大明神を遷座勧請すると記されてある。 本殿は室町建築様式の特長を完全に伝えて今日に至る。 明治6年村社に列し、明治42年12月3日神饌幣帛供進社に指定され、昭和21年2月2日国家の神社管理廃止、同年6月1日宗教法人令により神社本庁に所属し、同27年9月3日宗教法人法による認証登記完了する。 当神社の祭神は棟札によると、当初は白岩大明神、寛保元年に丹生罔象女神社の明記あり、この神を主たる祭神となすに至る。 初め丹生明神社又は白岩明神と唱え、後に丹生社と呼ばれたが明治初期の頃より丹生神社と号し昭和21年6月更に白岩丹生神社と改称して現在に至る。 本殿は昭和30年6月22日(棟札12枚と共に)国の重要文化財として指定され建立以来度々小修理は施されて来たが、本殿建物の破損が進み昭和35年2月より11ヶ月の工期にて解体修理工事を実施し、当初の形式に復原し今日に至る。 この建物の特記すべき特徴は正面欄間及び正側面蟇股の精美な彫刻は後世見られる桃山時代彫刻の先駆をなすものである。
罔象女神
1560年
一間社春日造檜皮葺南面
10月15日
白岩丹生神社本殿及び本殿棟札(12枚 国指定) ネズの老樹(県指定天然記念物)
無料