かくみじんじゃ
石川県羽咋郡志賀町神代コ1
当社は、崇神天皇の御宇の勧請にして宇迦之魂神を祀り、延喜式内の名社なり。往古より勅願所として奉幣の事少なからず、畠山満則本国守護の時、当社を崇敬して神領を附し、且つ満則寄付に係る神宝の類甚だ多く有り..
当社は、崇神天皇の御宇の勧請にして宇迦之魂神を祀り、延喜式内の名社なり。往古より勅願所として奉幣の事少なからず、畠山満則本国守護の時、当社を崇敬して神領を附し、且つ満則寄付に係る神宝の類甚だ多く有りしが祝融の炎に罹り悉く焼失せりと云う。嘉祥3年8月より、国内諸神と共に班幣に興り。文徳天皇仁壽元年正月正六位上に叙し、後円融天皇永徳年間従三位に至る。朝野群載巻六に、康和5年6月10日神祇官御卜奏に〔坐能登国。気多神。神代神。云々社司等。依過穢神事崇給。遣使科中祓可令祓清奉仕事〕と見える。明治5年郷社に列せられ、明治41年境内社琴平神社に奥宮社を合併、昭和63年琴平神社を当社に合併する。本殿 明治14年10月再建。拝殿 平成元年6月再建。古来この地、神代の宮坂と称し甚だ眺望に富み神代八景として文人墨客が多く来訪したと云う。志賀八景は明治の初め旧加賀藩士にして国幣大社気多神社宮司加藤里路大人が、地元の歌人河崎公平、桜井格堂、渡辺隆などと当社境内の葛舎亭に登り歌会を開き眼下の風景を眺めて詠ると云う。
主祭神: 宇迦之御魂神 合祀 :大物主神 崇徳天皇
式内社(小)能登國羽咋郡 神代神社 旧郷社
崇神天皇の御宇
無し