あきよしはちまんぐう
山口県美祢市秋芳町秋吉4979番地
『風土注進案』によれば、「嘉祥年中(一一〇六~)百済国帝大津郡ニ漂着、此所へ遷住在し、御卒去後霊を祭りて惣鎮守とす」と当社の起源が記されている。さらに続けて「今に残りて毎年九月十三日、野走浦の海潮を..
『風土注進案』によれば、「嘉祥年中(一一〇六~)百済国帝大津郡ニ漂着、此所へ遷住在し、御卒去後霊を祭りて惣鎮守とす」と当社の起源が記されている。さらに続けて「今に残りて毎年九月十三日、野走浦の海潮を汲みとり霊神へ備へ、祭式仕来り候事」とある。漂着の王の名を祐邦と称したと伝えらるが、考証すべきものはない。鎌倉時代の建久三年(一一九二)、秋吉村藤原兵庫介好信が、宇佐八幡宮より分霊を勧請して相殿とし奉斎した。戦国時代の天文年中(一五三二~)、火災にあって社殿が炎上した。その後、復興したが、江戸時代の明和八年(一七七一)に至って改築を行なった。この時の上棟文を高津う山が書き、その全文が『風土注進案』に記載されている。現在の社殿は、明治三十年(一八九七)に造営されたものである。
応神天皇
旧村社
例祭(十月下旬)、春祭(四月三日)、新嘗祭(十一月下旬)