そうたいじ
長崎県島原市萩原1-1224
上州沼田城主 真田信之の三男 了憶和尚は島原藩初代藩主 高力忠房(こうりき ただふさ)に随伴来島。この地に境内堂宇の寄進を受け、島原の乱(1637)後初めて「戦死英霊怨親平等」の大供養を執行した。..
上州沼田城主 真田信之の三男 了憶和尚は島原藩初代藩主 高力忠房(こうりき ただふさ)に随伴来島。この地に境内堂宇の寄進を受け、島原の乱(1637)後初めて「戦死英霊怨親平等」の大供養を執行した。 徳川将軍家とは遠縁にあたる忠房の妻「まのの方」は了憶和尚の姉であり、将軍家歴代の位牌所、真田家祖先の菩提所、高力家一門の回向所と定められ、家康、秀忠、秀忠室於江与(家光公の生母)等将軍家ゆかりの霊牌、ならびに真田家・高力家の霊牌を奉安した。
岳嶋山
光岳院
浄土宗
岳嶋山光岳院崇臺寺
島原三十三観音霊場 第4番