せきどうざんじょう
石川県鹿島郡中能登町石動山
石動山城は、天平寺の石動山衆徒の拠点である大宮坊の砦を利用して、石動山(標高520m)の山頂付近に築かれた。天平寺の石動山衆徒は、1569年(永禄12年)に越中国を制圧した上杉謙信に対しては戦勝祈願..
石動山城は、天平寺の石動山衆徒の拠点である大宮坊の砦を利用して、石動山(標高520m)の山頂付近に築かれた。天平寺の石動山衆徒は、1569年(永禄12年)に越中国を制圧した上杉謙信に対しては戦勝祈願として大般若経を贈るなどしており、これ以前から謙信方についていたと考えられる。 謙信は七尾城を攻めた際に、長期戦を想定してこの城を築き、直江景綱を守将として置いた。 本能寺の変後、能登畠山氏の旧臣が上杉景勝の助勢で蜂起して石動山に立てこもったが、前田利家や佐々成政などの軍勢により落城した。