えにちじ
福島県いわき市四倉町玉山字牧ノ下53
和銅2年(709)三輪宗の慈彗法師が、聖徳太子の教法をひろめるために奈良より下向し、草宇を建てて彗豊山彗日寺と号したのが始まりと伝えられている。その後、大同元年(806)に徳一大師が法相宗を布める拠..
和銅2年(709)三輪宗の慈彗法師が、聖徳太子の教法をひろめるために奈良より下向し、草宇を建てて彗豊山彗日寺と号したのが始まりと伝えられている。その後、大同元年(806)に徳一大師が法相宗を布める拠点として再興し、大日如来を本尊として三堂を建立、地蔵・不動・聖徳太子三尊を祀ったといわれている。 天慶3年(940)平将門の三女(瀧夜叉姫)がのがれて来て、寺側に庵を結んで地蔵菩薩を信仰し、如蔵尼と改名して仏道に帰依、八十余歳で入寂した。以来、明徳年間(1390〜94)にいたるまで尼寺として栄え、明徳3年には甚彗上人が再興し、山号を甚光山に改めて、中興第一世となって岡本檀林となる。 後、磐城平藩主の祈願寺となった恵日寺は、御朱印二十五石、末寺六十三ヶ所を擁し、磐城三十三観音第28番札所玉山観音堂の別当となる。 元和5年(1619)に平藩主内藤氏の寄進によって、七堂伽藍が造営されたが、昭和20年に遭遇した空爆によって大伽藍と宝物は廃塵と化した。
甚光山
真言宗
智山派
和銅2年(709)三輪宗の慈彗法師
大日如来
大同元年(806)
法相宗の徳一大師
福島八十八ヶ所霊場 第76番札所
あり