ふなやまはちまんぐう
山口県山口市仁保下郷3341番地
建久8年(1197)仁保の地頭職に補佐された平子重経によって鎌倉鶴ヶ岡八幡宮を勧請し建久9年(1198)に創建された。当初の位置は源久寺参道重経墓所前面にあった。 その後、平子重経六代の孫重嗣が..
建久8年(1197)仁保の地頭職に補佐された平子重経によって鎌倉鶴ヶ岡八幡宮を勧請し建久9年(1198)に創建された。当初の位置は源久寺参道重経墓所前面にあった。 その後、平子重経六代の孫重嗣が正平2年(南朝)貞和3年(北朝)(1347)現在の地に移し社殿を造営した。 大内氏滅亡時の戦火で焼失し、毛利秀元が建てかえたがまた焼け、慶長18年(1613)毛利輝元が再建した。
応神天皇、神功皇后、市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命
旧郷社
建久9年(1198)