あおねてんまんぐう
滋賀県近江八幡市船木町1570
青根天満宮紀という元和元年香梅寺住職の記したものによると、寛弘二年青根長者佐弥が建立し勧請者と記されている。当社は青根天神又は船木天神宮と称したと云い、社僧香梅寺が、この社の奉仕をしていたと伝える。..
青根天満宮紀という元和元年香梅寺住職の記したものによると、寛弘二年青根長者佐弥が建立し勧請者と記されている。当社は青根天神又は船木天神宮と称したと云い、社僧香梅寺が、この社の奉仕をしていたと伝える。康永四年社頭再造営が実施され、天承十八年社回禄、天承二十年社頭三造立がなされ、別当天台沙門財林法印之預、後陽成院の震斡に天神宝号を賜っている。慶長二年公儀より御除地、社領を被した。当時の氏人は舟木、小舟木、土田、八木の四ヶ村であると記されている事などがある。富塚が東宮の南六町にあり、青根長者屋敷跡で、古き昔天満宮勧請の尅自ら誓って曰く、朝日夕日に輝く所に於て、楠木千本、漆千桶 黄金を埋め、若し未世此の宮の断絶の時、この重宝を以って再興をなす用意である。此神霊はご利益いと高く、信念をそそぐべきである。右神縁後鑑に為し、記誌の条此如く、後末祭祀怠るべからず。此の紀巻を屹度秘蔵して幾後代まで伝えるべきを旨である。(滋賀県神社庁HPより)
青根天満宮紀という元和元年香梅寺住職の記したものによると、寛弘二年青根長者佐弥が建立し勧請者と記されている。
菅原道真
旧村社
寛弘二年(1005年)
4月2日