やひじんじゃ
愛知県知多郡阿久比町矢高石根37
箭比神社は『尾張本国神明社帳』に載せられている箭比天神で、延善12年(912)に箭野八郎蓋賞の勧講により菅原宿)公の御参詣のもとに社号を「節比神社」と賜り創建された神社で、阿久比郷三ノ宮として開いた..
箭比神社は『尾張本国神明社帳』に載せられている箭比天神で、延善12年(912)に箭野八郎蓋賞の勧講により菅原宿)公の御参詣のもとに社号を「節比神社」と賜り創建された神社で、阿久比郷三ノ宮として開いたと言われている。 明治41年(1908)の区有文書では祭神は伊邪那岐大神(命)、伊邪那美大神(命)と記されている。 現在の社殿は慶応元年(1865)の造営で、木造皮葺春日造である。箭比神社文書の『熊野神社縁起』に応永15年(1408) に熊野権現を中ノ山(現在の地蔵山)に勧調守護神として祭ったが、発線7年(1894)に、尾ズ二代着徳川光友公により、現在の矢高字石根に三町五反(約3.5ヘクタール)ほどの替地を得て社殿を修築した。 本殿に向かう階段途中には光友公が寄進したと言われる「赤鳥居」がある。これをくぐると、「おこり」にかかるという言い伝えが残っている。(現在の赤鳥居は幾度か改築されたものである。) 境内には拝殿に向かって右側に「市杵島」「山神」、左側に「津島」「白山」「秋葉」「金比羅」、赤鳥居の左側には「役行者」が祭られている。 阿久比町教育委員会(現地立て看板による)
伊邪那岐命 伊邪那美命 神日本磐余彦命 媛踏鞴五十鈴媛命
旧指定村社 10等級
本殿 春日造1.00坪 拝殿 15.00坪 社務所 22.50坪 神饌所 6.00坪 神楽殿 30.00坪
4月8日