かんのんじ
長崎県五島市幸町3−2
寺伝では吉田村にあった寺を第14代宇久幡(たつ る はつる)が1501年現在地に移転し、千光山観音寺と改称したという。玉之浦納の乱(1507)から15年後、納を討って第17代を継いだ盛定は「使僧を黒..
寺伝では吉田村にあった寺を第14代宇久幡(たつ る はつる)が1501年現在地に移転し、千光山観音寺と改称したという。玉之浦納の乱(1507)から15年後、納を討って第17代を継いだ盛定は「使僧を黒島に遣わして慰霊復讐の報告を行なわしめ、以後毎年7月3日、観音寺、清浄寺の僧を渡海せしめて大施餓鬼(せがき)を施行」させ、近年まで観音寺住職が新8月2日に黒島に行っていたという(現在は行っていない)。また、墓地には幡の戒名の入った大きな墓碑と思われる石碑が存在する。
千光山
曹洞宗
十一面観世音菩薩
五島八十八カ所第29番
有り