円照寺九世日作大和尚が慶長六年暮れのある夜、鶴子の鶴沢から竜が昇天し、村の鎮守・信仰の寺を建立した霊夢を見て発心したといわれています。翌慶長七年(一六〇二年)四月十八日、丹生川沿に登り霊夢の鶴沢にたどり着き、水に恵まれたその地は村の鎮守・信仰の道場に最適と見て、現在の岡田御所神社の場所に寺を建立し霊夢の竜にちなんで竜泉寺と名づけました。宝暦元年に火災にあい翌年現在地に山門・本堂・衆寮・庫裡を再建し現在に至っています。岡田の寺屋敷跡には延沢城主能登守が戦火をまぬがれて来たとき持参した本堂の鐘を境内に隠し埋めたと伝えられています。黒唐不動明王は江戸中期頃は最上方面からも参拝があり、蛇王大権現は農業養蚕と智恵の仏様で蛇のミイラを祀っています。